2009年06月29日

日本ではじめての近代化学を紹介する書となったのは

日本ではじめての近代化学を紹介する書となったのは、江戸時代の宇田川榕菴の『舎密開宗』(せいみかいそう)をもって嚆矢とする。舎密は化学を意味するオランダ語 Chemie の字訳である。舎密開宗の原著はイギリスの化学者ウィリアム・ヘンリーが1801年に出版した An Epitome of Chemistry である。宇田川榕菴はこれらの出版に際し、日本語のまだ存在しなかった学術用語に新しい造語を作って翻訳した。酸素、水素、窒素、炭素といった元素名や酸化、還元、溶解、分析といった化学用語は、宇田川榕菴によって考案された造語である。
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純粋化学 ? 理論化学
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応用化学 〈記事 応用化学も参照のこと〉
工業化学 ? 化学物質の生産・利用に関する化学技術
農芸化学 ? 肥料、農薬、飼料、食料品に関する化学技術
薬化学 ? 医薬品に関する化学技術
環境化学 ? 環境中に存在・排出された化学物質に関する化学
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2009年06月12日

人間の名人対コンピュータの対戦は行なわれ

人間の名人対コンピュータの対戦は行なわれ、2002年の10月に行われたウラジーミル・クラムニクとコンピュータソフトディープ・フリッツとのマッチでは、両者引き分け。2003年1月26日から2月7日までニューヨークで行なわれた、カスパロフとディープ・ジュニアとのマッチも1勝1敗4引き分けで両者引き分けに終わっている。2003年11月11日から11月18日に行なわれたカスパロフとX3D Fritz (英語)のマッチは1勝1敗2引き分けで両者引き分けに終わった。

ディープ・ブルーの後は、PCで動くコンピュータソフトが主力であるが、ハードウェアを含めて最強のチェス・コンピュータを作る試みがヒドラプロジェクトで行われている。これは、64ノードの Xeon プロセッサからなる。
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2005年11月には、人間とコンピュータのチームによる対戦がスペインのピルバオで行われた。人間のチームは元世界チャンピオンの、カシムジャノフ、カリフマン、ポノマリョフの3人、コンピュータのチームは、ヒドラ、フリッツ(Fritz)、Junior の3種。結果は8-4でコンピュータの勝利となり、人間がコンピュータに勝つことは次第に難しくなってきた。

2006年11月25日から12月5日にかけてディープ・フリッツはクラムニクと再戦し、1戦も失うことなく2勝4引き分けの勝利を収めている。

2007年3月には、GMのJaan EhlvestがRybkaと対戦。Rybka側は常にポーンを1つ落とす(8ゲーム行い、1ゲームごとに落とすポーンを変えていく)というハンデキャップマッチだったが、Rybkaが4勝1敗3分で勝利している。

人間が機械に負けたことを受け、チェスとほぼ同じ駒を使ってできるアリマアという新しいボードゲームが考案された。これは、1手あたりの可能な着手数がチェスに比べて遙かに多いため、当面の間は人間がコンピュータに負けることはないと考えられている。

2009年06月07日

当たり屋グループ(あたりやグループ)とは

当たり屋グループ(あたりやグループ)とは、自動車・オートバイなどに乗車し、ターゲットとなる相手に交通事故を起こさせ、法外な損害金・賠償金などを要求してくると考えられているグループのこと。当たり屋グループ警戒をうながす怪文書が都市伝説の一つであるともみなされている。

自動車・オートバイなどに乗車し、ターゲットとなる相手に交通事故を起こさせ、法外な損害金・賠償金などを要求してくると考えられているグループのこと。詐欺や恐喝などで逮捕されるグループもある。

ただ、当たり屋グループ警戒をうながす怪文書が都市伝説として広まることも多い。1985年前後より各地で出回り始めたとされる。一時はテレビや週刊誌でも採り上げられることがあったため、この都市伝説は、職業として自動車の運転に従事する者を中心に全国的に広まった。情報の広まり方としては、「当たり屋グループ出現チラシ」のコピーが手元に届き、そのコピーをコピーしたものを他者に送り、受け取った他者がさらにコピーを重ねて、さらに他者に送るなど、チラシのコピーを重ねていくうちに文字がつぶれて判別しにくくなったり、作り直された際に誤読され別の文字(数字)に置き換えられるなどの過程を経て、様々なパターンの内容ができていったと考えられる。一説によると、そのパターンは全国で200種類以上にものぼるという。

当たり屋グループが来ました。気を付けて運転して下さい。

下記ナンバー車と接触事故を起こした場合は、その場で示談せずに直ちに警察に連絡する事
警察が到着する前に、自分の勤務先や氏名、電話番号は絶対に言わない事
このコピーを車内に備えておく事
友人、知人に知らせてあげて下さい
要注意ナンバー(30台〜36台が箇条書きに掲載。大半は数字が「○○57」など2桁)
クレジット 調査 抜け毛 家電 介護 アクセサリー ステイ 交通地図 外国語 遊園地 化粧品 関東 エステ 人探し 葬儀 調査 グルメ アレルギー 衣料 マッサージ 寝具 語学 観光 生涯学習 交通 サプリ 行政書士 ダイエット ビジネス 育児 マッサージ 趣味 クレジット アレルギー 植物 マッサージ インテリア 音楽 九州沖縄 特産物 宿泊施設 化粧品 法人設立 生活雑貨 SEO対策 自動車 マッサージ 食品 審美歯科 ペット


このナンバーの車が前を走行している時は、急に車が止まっても当たらない車間距離を保って下さい(サイドブレーキを使用するのでブレーキランプはつきません)。
○○(地域名)ナンバーの他、△△(地域名)方面の車にも気を付けて下さい。
運悪く事故を起こした場合は、警察に連絡すると同時にこの資料をチェックするだけで逃げていくケースもあるそうです。
要注意ナンバーは「品川ナンバー」「大阪ナンバー」「山口ナンバー」など様々だが、情報が出回る地域以外のナンバーの情報が出回ることが多いとされる。前述の通りコピーや複製が繰り返されるうちに、実在しなかった「○○39」なるナンバーや「0」から始まる4桁の数字、小型乗用車の車種が明記されているのに商用割り当ての「6ナンバー」が併記されるなど明らかにおかしいものも多い。また、当たり屋グループの手口として「ターゲットにする車を2台の車でサンドイッチ状態にし、後方からパッシングをして煽り、前方の車はサイドブレーキを使って急停止する(前の車に追突させる)」「道をゆずるフリをし、ターゲットの車が通り過ぎようとすると急発進して当てる」「公務員・女性が狙われやすい」などと紹介しているものもある。

2009年04月24日

強制移住

ニュー・エコタ条約に対する抗議が続いた。1838年春、ロス首長は15,000名以上のチェロキー族から署名を集め、合衆国議会が条約を無効にすることを求める請願書を提出した。多くのアメリカの白人も条約のあやふやな合法性に怒り、議会にチェロキー族の移住を強制しないよう求めた。例えば、1838年4月23日、ラルフ・ウォルド・エマーソンは、ジャクソンの後継者マーティン・ヴァン・ビューレンに手紙を書き、「チェロキー族に大きな非道行為」を行使しないよう訴えた。

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それにもかかわらず、自発的な移住の期限である1838年5月23日が近づくと、ヴァン・ビューレン大統領はウィンフィールド・スコット将軍に強制移住作戦の指揮を割り当てた。スコットは約7,000名の兵士を率いて、5月17日にニュー・エコタに到着した。部隊は5月26日にチェロキー族インディアンをジョージア州に集め始め、10日後、作戦はテネシー州、ノースカロライナ州およびアラバマ州にも拡がった。約17,000名のチェロキー族インディアンと富裕なチェロキー族に所有されていた約2,000名の黒人奴隷が、住んでいた家から銃を突きつけられて3週間にわたって移動させられ宿営地に集められた。多くは背中に衣類を負っただけだった。続いて出発点に指定されたテネシー川沿いのロスズランディング(テネシー州チャタヌーガ)とガンターズランディング(アラバマ州ガンターズビル)およびハイワシー川(テネシー州カルフーン)沿いのチェロキー族部局に近いカス砦(テネシー州チャールストン)に移動させられた。それらの地点からはインディアン居留地まで、ほとんどが徒歩で時には馬や馬車、ボートを組み合わせておよそ1,200マイル (1,900 km)の距離を3つの経路で進んだ。

最初の宿営地で赤痢などの病気が流行り、多くの者が死んだ。3つの経路に送り出された後、1つのチェロキー族集団がスコット将軍に涼しくなって行進が容易になるまで待ってくれるように嘆願した。これが認められ、この時敗北を認めていたロス首長は残りの行程がチェロキー族委員会の監督で進められるように進言した。これには費用が嵩むので合衆国政府の中に反対の声が挙がったが、スコット将軍は残りの11,000名のチェロキー族をロス首長に預けて移動させる約定を裁定した。チェロキー族の管理による行進は8月28日に始まり、平均1,000人ずつの13の集団になって進んだ。この配慮はすべての者にとって改善であったが、病気がまだ多くの命を奪った。

涙の道の結果として死亡した者の数については様々な推測がなされた。アメリカ人の医者で宣教師のエリザー・バトラーは、一つの隊と歩んだ者であるが、宿営地で2,000名道中で2,000名と見積もった。この合計4,000名という数字はよく引用される数字となっている。1973年の学者による人口統計調査では合計で2,000名が死んだとされた。1984年の別の調査では合計8,000名となった。[4]

旅の途中で人々は「アメイジング・グレイス」を歌って士気を高めていたと言われている。伝統的なキリスト教賛美歌が、この時より前に宣教師のサミュエル・ウースターとチェロキー族のエリアス・ブーディノットの手助けによってチェロキー語に訳されていた。以後、この歌はチェロキー族インディアンのある種の国歌になった

2009年04月06日

イリアン・パイプス

イリアン・パイプス または イーリアン・パイプス (英:Uilleann Pipes、アイルランド語:Píb Uilleann) は、バグパイプ(Bagpipe)の一種で、アイルランドの民俗音楽やポピュラー音楽に用いられる楽器である。

アイルランド語(ゲール語)で「肘(ひじ)のパイプ」という意味。"Uilleann"はアイルランド語ではイーラン、イルンなどと発音する。(Píb Uilleann…ピーブ・イーラン)

他の多くのバグパイプと異なり、皮袋に空気を送り込むために、演奏者の呼気ではなく、肘に取り付けられた鞴(ふいご)が用いられる。旋律を演奏するための「チャンター」(chanter)と、通奏音のための最大で3本の「ドローン」(drone)の他に、数個の鍵(キー)の付いた伴奏用の「レギュレータ」(regulator)と呼ばれる管を最大で3本備えている。このレギュレータの操作は利き腕の手の甲で行われる。

バク転 ルーシュ ハーブ シニカ テンペラ オーソー スラウ タナトス パンヤゾ いす 夢のカケラ コテージ リターン シーバー ディズム 不死鳥 パドボ 無邪気 アニン シノプシ クリア ラック 君の左手 ライム テストケー ダラス バイア ツルグミ めじり パントモ ニュー ニング エカナ ルノワー シング スカイブル マルメロ パジャマ こむぎ ズボン ウエハース きょうりん ステラ リレー きんかん ドレナ スキーリ パラメデ ローフ アイスティー


2009年03月22日

プラスチック製模型おもちゃ及びその組立

プラモデルという商標は、プラスチック製模型おもちゃ及びその組立キットその他のおもちゃ,人形。新聞,雑誌,その他の定期刊行物。および模型に関して日本プラモデル工業協同組合が権利を持っている。他にキヤノン株式会社が別のものでプラモデルという商標を持っている。

プラモデルという名称は、マルサンが1959年(昭和34年)に商標登録したもので、他のメーカーは「プラ模型」「プラキット」など言い方を変える必要があった。商標権はマルサン(改めマルザン)倒産(1968年(昭和43年))に際し大手問屋の三ツ星商店に売却され、1975年(昭和50年)日本プラスチックモデル工業協同組合に移譲された。現在は各社自由に使ってかまわないことになっており、一般化している。メーカーではバンダイとアオシマが自社製品のキャッチコピーに使用していた。

用途による分類 [編集]
ディスプレイキット(ディスプレイモデル)
完成品を展示(ディスプレイ)することを目的としたもの。
モーターライズキット(モーターライズモデル)
乾電池などの動力源と電動のモーター(以前はゼンマイ)などの駆動機関を内蔵または外装したもの。
ラージヒル ニズム グアナコ キナパー レール ソング ジョッキー ロール ヒアシン オイヒバ アース ピーピーシー ダイエ バッグ リプレース おたま キング アルタイ キング マネキ ぴんぞろ エッジ プロテク ニバナ ヒッチハイ ひこうき ハバネロ ハムエ てんえい プリオン 相合傘相 マッサ ヤダケ ビネガー ファンド イヌイッ モルドバ コマソン カートン てんま りゅうちょう アラス マヌカン アナカン セフレ デビュー スリッペ ノンプロ ライトノ たいむ

製法による分類
インジェクションキット(射出成形キット)
金型の中に熱で溶けたプラスチックを高圧で流し込んで成形されたキット。大量生産に向き、パーツの精度も高い。製造には精密な金型と、大掛かりな射出成型の設備が必要となるためにイニシャルコストが高いのが難点。製法上、パーツに金型の合わせ目であるパーティングラインが生じる欠点もある。樹脂の通り道であるランナーがあるのが射出成形品の特徴である。ゲートはピンゲートにすることで小さくなるが、樹脂の通り道が小さくなるため、生産性が犠牲となる。金型は定期的に整備を続ければ長持ちし、事実40年以上生産され続けているキットもある。一般的なインジェクションキットの他、樹脂や軽合金を型に使った「簡易インジェクションキット」という物もあり、これは型の寿命が短い代わりにコストを下げることができるため、マニア向けの少数生産キット製造の手段として用いられることが多い。通常のインジェクションキットより部品の精度が劣る物が多いが、一部のチェコ製合金型のものは通常のインジェクションキットに迫る出来の物もある。
バキュームフォームキット(真空成形キット)
熱でやわらかくしたシート状のプラスチックを、型に押し付けて成形したキット。通称「モナカ」。単純に押し付ける手法をヒートプレスと呼び、プラスチックシートと型の間の空気を吸い出して密着させる手法をバキュームフォームと呼ぶ。(例:卵の透明プラスチックケース)型が1枚で済むので少ない設備投資で成形できるが、大量生産にはあまり向かない。比較的、流線型の成形に向くこともあり、マイナーな航空機がこのバキュームキットで販売される傾向にあるほか、RCカーのポリカーボネート製ボディはほぼこの製法を用いる。成型品はかなり肉厚が薄くなるため補強が必要であるなど製作難易度は高い。また細部など真空成形の困難な部品はインジェクションやレジン、エッチング等のパーツが組み合わされる場合が多い。
押出成形
熱で溶けたプラスチックをダイと呼ばれるノズルからトコロテンのように押し出して成形する。断面の形が同じものを無限に成形できる。プラモデルのキットが押出成形されることはまずありえないが、各種プラ棒・プラ板がこの成形方法である。

2009年03月07日

オルタマハ (護衛空母)

オルタマハ (USS Altamaha, AVG/ACV/CVE-18) は、アメリカ海軍の護衛空母。ボーグ級航空母艦の1隻。艦名はジョージア州のオルタマハ川に因んで命名された。

艦歴
オルタマハは海事委任契約の下ワシントン州タコマのシアトル・タコマ造船所で1941年12月19日に起工した(船体番号235)。1942年5月25日にトーマス・S・コムズ夫人によって進水し、1942年9月15日にJ・R・テート艦長の指揮下就役した。

短期の公試に続いて、オルタマハは10月27日に駆逐艦ケンドリック (USS Kendrick, DD-612) と共にカリフォルニア州サンディエゴを出航した。巡航の途中、ケンドリックの乗組員が潜水艦を発見し、オルタマハに向けて三発の魚雷を発射したと主張した。しかしながらオルタマハの乗組員誰もが魚雷を見つけることは出来なかった。巡航は平穏無事に継続し、オルタマハは10月31日にサンディエゴに到着した。その後、オルタマハは航空機と兵員を積み込み11月3日に船団と共に南西太平洋へ出航した。

11月24日にエスピリトゥサントに到着し、積み荷の一部を陸揚げするとニューカレドニアへ向かう。11月28日にヌーメアに到着し、パイロットの飛行訓練及び乗組員の訓練演習を行う。12月30日にエスピリトゥサントに帰還するが続けてフィジーへ向かい、1943年1月13日にナンディに到着、その後訓練に従事する。
フィルター ダミー ドライブイ とっこ クーガー ミズム ソリッド カカオ ゲルサンド ザ・サボイ ソケット ジュート デイオ シェークス 澪標恋 フォーラ フーディア 自由の幻想 スペアリブ オーバー スペイン ピーエル スポッタ サチュ レンツェ リベラル インダー かえる ロウバ パイロ メーン フォックス ブラック シロヤ ブロー パトロー フラダンス タイボ ドジェ ひらない ちょうらく ニワウメ テディ コールド マナイ ザック ローブロ デーション ソール フライ

2月前半にオルタマハはフナフティ島に立ち寄り、貨物と兵員を上陸させる。その後ハワイに向かい2月10日に真珠湾に到着した。真珠湾で第11航空団の航空機と兵員を搭載すると2月19日にフィジーに向かう。2月28日にナンディに到着すると荷物を降ろし、ハワイへ帰還する。

真珠湾で短期間停泊した後、オルタマハは3月9日に太平洋艦隊へ向けての補充の航空機を運搬する。3月15日にパルミラ環礁で小休止し、3月17日にジョンストン島で海兵隊航空団を上陸させる。3日後にミッドウェー島に立ち寄り、ハワイへ向けて帰還する。3月23日まで真珠湾に停泊し、アメリカ西海岸へ向かう。

オルタマハは4月1日にサンディエゴに到着し、3ヶ月半の期間をカリフォルニア沖での飛行訓練に費やす。7月13日にアラメダに到着し、アラメダ海軍航空基地で航空機を積み込む。3日後にオーストラリアに向かい、8月3日にブリスベーンに到着する。フリーマントルを10日間訪問し、8月16日にインドへ向けて出航、8月28日にカラチに到着し、陸軍の航空機を29機送り届ける。

9月2日に帰路に就きオーストラリアに向かう。9月18日にメルボルンに到着し、三日間の検査、補修の後アメリカ西海岸へ向かう。10月8日にオーバーホールのためカリフォルニア州バレーホのメア・アイランド海軍工廠に入る。

オルタマハは11月8日に公試に出航し、アラメダで補充の航空機を積み込むと11月13日にブリスベーンへ出航した。11月30日にブリスベーンに到着し積み荷を降ろすと、12月4日に帰路に就く。12月21日にサンディエゴへ到着すると、空母認証訓練と補修を行う。

オルタマハは1944年3月22日に真珠湾に向けて出航する。3月28日に到着し、そこからマーシャル諸島300マイル東方の作戦活動水域に第6混成航空団を輸送する。オルタマハは真珠湾とマーシャル諸島を結ぶ輸送航路での日本軍潜水艦に対する戦闘部隊である第11.1任務群の核となり、3月30日に4隻の護衛駆逐艦と共にハワイを出航する。部隊は4月3日に作戦海域に到着し最初の警戒巡航を行った。部隊は二隻の敵潜水艦と遭遇したが、どちらにも損害を与えることはできなかった。任務群は4月8日にマジュロ環礁に到着し、護衛駆逐艦が燃料を補給した。

新たな任務を受けた部隊は4月11日に出港する。4月15日にオルタマハは4発の水雷攻撃を受けるが、これを無事に回避した。その後は何事もなく、第11.1任務群は4月18日に任務を解かれ真珠湾に向かう。ハワイ海域での短期の維持作業に続き、オルタマハは5月上旬にマジュロに帰還し、その後マーシャル諸島で対潜水艦護衛任務を行った後、5月11日に真珠湾に到着した。

ハワイで二日間停泊した後、オルタマハはアメリカ西海岸に進み、5月18日にアラメダに到着する。修理と改修を行うためユナイテッド・エンジニアリング社の造船所に入り、作業が完了すると5月31日に作戦活動を再開、ハワイに向けて航空機と予備部品を運搬する。

真珠湾で積み荷を降ろすと、オルタマハはアラメダに帰還する。その後6月19日いサンディエゴに到着し、二日間に渡って兵員と機材を積み込み、6月21日にカリフォルニアを出航しニューヘブリディーズ諸島に向かう。7月7日にエスピリトゥサントに到着し積み荷を降ろすと7月12日にニューギニアのモロベに向かい、7月16日に到着する。その後ランゲマク、ゼーアドラー湾、マヌス島を訪れ、7月25日にエスピリトゥサントに帰還する。その後オルタマハは再びニューヘブリディーズ諸島への巡航を行い、ゼーアドラー湾とガダルカナル島を訪れる。8月10日にニューヘブリディーズ諸島を出航しハワイに向かう。

オルタマハは真珠湾で二日間停泊し、その後サンディエゴへ向かう。サンディエゴで4日間を過ごした後、真珠湾に戻り、9月8日にハワイを出航、エミラウ島とゼーアドラー湾を訪れ、10月6日にサンディエゴに帰還した。その後三週間を同海域での訓練で過ごし、10月26日に再び西への巡航を開始する。

真珠湾での三日間の停泊後、オルタマハは補充航空機とパイロットをエニウェトクへ輸送する。10月15日にウルシー環礁に到着し、同水域で12月14日まで飛行訓練を行った後、第3艦隊の補給海域に向かう。12月16日、オルタマハはフィリピン海で第30.8任務群に合流、翌日駆逐艦ブキャナン (USS Buchanan, DD-484) にパイロットを移乗させるが、荒天により作業は中断した。12月18日の早朝、猛烈な台風に遭遇、09:00までにオルタマハは20度から30度もの傾きを生ずるほど荒波に揺られる。一時間後に視界はゼロとなり、艦は姿勢維持の努力を放棄した。オルタマハの搭載していた航空機の二分の一が破壊されるか船外に落下するかした。更に前方エレベーター部分は浸水し始めた。16:00までに天候は回復し、艦の状態も回復した。オルタマハはすぐに第30.8任務群の艦と合流した。

オルタマハは相当の被害が生じたが、兵員の損害はなく、12月19日に新たに補給任務を再開することができた。オルタマハは補給部隊と共に任務を1945年2月まで継続した。その間にフィリピン海域の第3艦隊の艦艇と共に活動を行い、グアム、マヌス島、ウルシー環礁で港湾訪問を行った。2月15日に真珠湾に到着する。

オルタマハは西海岸へ向けて巡航し、2月26日にアラメダに到着した。その後3月3日にハンターズ・ポイント海軍工廠で信頼性試験を開始し、この間に乾ドックで水線下の定期補修作業と、台風で損傷したスクリューの修理を受ける。3月14日に作業は完了、航空機、弾薬及び補給物資を積み込み真珠湾へ向かう。

大戦も終盤に近づくと、オルタマハはアラメダ、サンディエゴ、真珠湾から太平洋の各地へ運搬作業を行う。グアム、サイパン、エニウェトク、コソル水道、サマール島などに停泊した。8月15日に日本が降伏し、オルタマハは西海岸へ帰還、ハンターズ・ポイント海軍工廠で補修とオーバーホールを受ける。10月半ばに公試を行い、22日に真珠湾へ向かう。その後マジック・カーペット作戦に割り当てられたオルタマハは、兵員及び機材を太平洋からアメリカ本土へ輸送した。

1946年1月15日、オルタマハはワシントン州タコマに向かう。同地で不活性化の準備に入り、9月27日に予備役となる。1955年6月12日に CVHE-18(護衛ヘリ空母)に艦種変更され、1959年3月1日に除籍される。1961年4月25日にニューヨークのアイゼンベルク社に売却され、同年末に日本でスクラップとして廃棄された。

2009年02月18日

帝国千戦記

も無き少年が仲間を集めやがて強大な勢力と対峙するということでストーリー展開が幻想水滸伝に類似している点もある。 舞台設定のモデルとなっているのは三国時代の中国。巨大な帝国が崩壊し、地方の軍閥が統一政権を目指して挙兵すると言うところから始まる。

ある巨大な帝国が皇帝の死と共に滅びた。 時の権力者達は国を三つに分断し、各々が王を名乗り各地を統治することとなる。 その中の一つ、まだ名も無い国の片隅に一人の青年が居た。 彼こそが後の歴史書で神童と語られる青年、陶青樺。

貧しい村に農民として生まれ、貧困と搾取に喘ぎながら一生を終える筈だった青樺の人生は、帝国の崩壊と共に一変。 国による城壁工事に、村ぐるみで駆り出された青樺を待ち受けていたものは、母達との別離に辛い苦役という過酷な現実だった。
はにー ファイバ ていん| ジェス オフス たけざお おはじき 一等星 アップ ファー イコノロジー プロテイ ローカル シンプ けん蔵 フリース メモリー はこだて マルチ パルプ シェーバー トライアン ミンク ブティッ 翠の月 ゲスロ コピペ シエラ ネガティブ ずいき ゼンマイ きない トロッ デニール プロデビー ハネム オフタ リヤカー ドーミー カーウォ ボーイ 三和音 ゾル ぎぼう 大逆転 小さい魔女 ソダラ 夢列車 ゴスロ マジッ

それから三年後の冬。生きる為に奴隷同然の暮らしに耐えていた青樺だが、目の前で兄達を殺されたのを機に脱走。 死に物狂いの逃亡の末、山の中行き倒れていたところをある男に助けられたことから、青樺の運命は大きく動き始める。

お尋ね者の元将軍に放蕩者の元大臣、武装集団の首領に旅の幻術士、不思議な青年に謎めいた武器商人。 平穏な世ならば決して無かった彼らとの出会いと、自分や近しい人に迫る危機が見える「先見」の力。 これらは果たして青樺とこの国に何をもたらすのか…。

陶青樺(トウセイカ)・・・PC版声優:石井一貴/PS2版声優:福島潤
後世に神童と伝わる主人公。兄を亡くす際「先見」の能力に目覚め、打倒陳王高を目指す。貧しい農民の出で学は無いが頭は良く、何事にも真摯に取り組む。しかし真面目であるが故に、時折考えすぎて悩みこんでしまうことも。家族の仇への憎悪を胸に刻み復讐のみを生きる糧とするが、仲間達との出会いや様々な経験を経て人間的に大きく成長する。
孟元堅(モウガンケン)・・・PC版声優:古賀寛之/PS2版声優:土屋利秀
数々の武勲を立てながらもお尋ね者として追われる元将軍。行き倒れた青樺を解放した人物であり、青樺の保護者的存在。後に陶青樺を総大将とした反乱組織「青軍」を立ち上げる。面倒見が良く世話焼きで豪快な熱血漢だが、武門と名高い名家の生まれなので礼節を弁え、剣と馬術において右に出るものが無い武人。史鋭慶に対し深い恨みを持つ。
貴紗烙(キシャラク)・・・PC版声優:鈴木千尋/PS2版声優:武内健
高級官僚を代々輩出した名門貴族の御曹司。「貴一族の狂児」の通り名を持つ放蕩息子で、大臣職を金で売り払い賭け事や遊郭に入り浸っているが、頭の回転が速い切れ者。掴みどころがない性格で、何事にも振り回されること無く自身が想うままに生きる奔放な人物。興味本位で青樺達と行動を共にするが、参謀役として青軍に欠かせない存在に。
燕旺珂(エンオウカ)・・・PC版声優:金子亮太/PS2版声優:鳥海浩輔
山城に居を構えている武装集団の若き首領。元は地方役人の息子だが上昇志向が非常に高く、一国一城を狙う野心家でもある。自信家で高慢な面も目立つが、的確で優れた判断力と他者の言を聞き入れる柔軟さを併せ持ち、彼を慕う部下も多い。国取りの足掛りとして、青軍に身を寄せることになる。
朱緋真(シュヒシン)・・・PC版声優:下野紘/PS2版声優:下和田裕貴
明朗快活で悪戯好きな幻術士。楽しいことや面白いことが大好きという賑やかな性格だが、物事を深く考えず調子に乗りやすい為に失敗することもしばしば。元は青樺と同じく農民の出だが、徴兵を免れる為という不純な動機で村に居た仙人に弟子入りする。暗くなりがちな雰囲気を明るくしてくれる青軍における重要なムードメーカー。
氷霧(ヒョウム)・・・・PC版声優:羽吹梨里/PS2版声優:藤田圭宣
変幻自在の変身能力を持つ不思議な青年。山の中で老人の姿で行き倒れていた所を青樺に助けられ、その為か青樺を子犬のように慕う。人間離れした美しい容姿と浮世離れした雰囲気を持つが、余りの常識外れの天然ボケに周囲を唖然とさせることも。山で行き倒れる以前の記憶が無く、変身能力を持つ自身の出生も定かではない。
李琉舜(リリュウシュン)・・・PC版声優:柊みかみ/PS2版声優:清水俊彦
謎めいた雰囲気の武器商人。年若いが武器を見る目は確かで、その目利きは長年将軍職にあった孟元堅をも呻らせるほど。旅の途中に青樺達と出会い、後に都で店を開いていたところを再開する。非常に寡黙で年不相応な冷静さを持つが、時折見せる張り詰めた表情からは、何か深い苦悩を抱えていることが伺える。
史鋭慶(シエイケイ)・・・PC版声優:緑川光/PS2版声優:緑川光
この国の宰相で陳王高の右腕。享楽に耽る主に変わり、実質的に国を仕切っている人物。陳王高からは絶大な信用を得ているが、彼自身は主に対して忠誠を誓っているかは不明。他者に対し冷徹で頑なな態度を貫き、目的の為には手段を選ばない非常な手腕と、宰相という立場や有能さなども相成って、宮廷内外問わず敵が数多い。
要使春(ヨウシシュン)・・・PC版声優:間島淳司/PS2版声優:笹沼晃
青樺の幼馴染の青年。明るくて面倒見が良く、青樺にとっては年の近いもう一人の兄のような存在。幼い頃彼の父親の発破の技術に目を付けた陳軍に家族諸共連行されて以後、音信不通になる。数年後偶然青樺と再会するが…。PCからPS2への追加キャラの一人。
李暫嶺(リザンリョウ)・・・PC版声優:藤原満/PS2版声優:千葉一伸
謎に包まれた凄腕の暗殺者。青樺を狙う意図は不明だが、その背景には何らかの思惑があるらしい。穏やかで義理堅い性格だが、石頭で頑固なところが玉に傷。また相手が女子供であろうとも私情を挟まず「仕事」を遂行する非情さも併せ持つ。PCからPS2への追加キャラの一人。

彰欄(ショウラン)・・・PC版声優:高城元気/PS2版声優:梶裕貴
年齢不詳の仙人。朱緋真の師匠であり、自らも強力な幻術を操る。小言が多い性格で、最近は弟子の不真面目さに頭を悩ませている。尊大な口調の割に幼い外見をしているが…。
白怜迅(ハクレイジン)・・・PC版声優:高橋あきお/PS2版声優:前野智昭
燕旺珂の腹心の部下。旺珂とは子供の頃からの付き合いで、彼に絶対の忠誠を誓っている。寡黙で表情に乏しい為、冷淡と誤解を招きやすい。剣の腕も起つが情報処理などの雑務にも長け、主に後方面で主を補佐する。
安瑞嵐(アンズイラン)・・・PC版声優:高城元気/PS2版声優:倉森慶二
自称「皇帝のご落胤」を語る少年だが、実は御付の男と組んで金を巻き上げる詐欺師。高飛車な物言いで生意気だが間の抜けたところがあり、からかわれるとムキになったりといった子供っぽい一面を見せたりと憎めない性格。
陸季(リクキ)・・・PC版声優:堂本あかり/PS2版声優:今井麻美
その素性の一切が謎に包まれた神出鬼没の謎の商人。彼の扱う商品は、日用品から用途不明の物まで様々なものが揃っており、王侯貴族や名立たる豪傑達がそれらを求めて出向くといわれる。
雲月火(ウンゲッカ)・・・PC版声優:早川隆之/PS2版声優:中川慶一
先の帝国時代から街道の管理を任されてきた雲家の青年。穏やかで心優しく、早く戦乱の世が終わり一族一丸となって雲家の使命を果たせるようになるよう願っている。血を残す為、一族内の女性との間に一児を儲けている。
啓洋健(ケイヨウケン)・・・PC版声優:村上和也/PS2版声優:佐野孝行
農民で構成された自警団「白帯隊」の代表で、農民であることに誇りを持つ青年。普段は農業を営み、有事の際に参戦する白帯隊と青軍との橋渡しとなる役目を担う。実直でひたむきな人柄で、仲間達の信頼も厚く慕われている。
洪顔怜(コウガンリョウ)・・・PC版声優:高橋あきお/PS2版声優:宮田浩徳
誇り高く義に厚い馬賊の頭目で、重い税に苦しむ民の為に役所を襲撃する高潔な人物。仲間内には戦火で孤児となったところを先代頭目に拾われた者も数多く、幼少の頃から共に育った彼らとは血の繋がり以上の絆で結ばれている。
煉邦(レンホウ)・・・PC版声優:高橋享/PS2版声優:桑原敬一
巷で無差別に人を襲い「鬼」と噂される通り魔。その性は非情で残忍な殺人狂。元海賊の頭領だったが、その非道さから部下の裏切りに合い陸に追いやられる。小柄ながらも身の丈半分ほどもある巨大な鋏のような凶器を振り回す。
醜隗(シュウカイ)・・・PC版声優:高崎拓郎/PS2版声優:宮田浩徳
奇怪な鉄面を付けた陳軍の参謀。蔀蝉示が取り立てるほどの知将で、新参者ながら異例の速さで軍師の位に上り詰める。その戦術はかの貴紗烙をも呻らせるほどだが、その非情な手腕は味方である陳軍内からも恐れられている。
益宝満(エキホウマン)・・・PC版声優:高橋あきお/PS2版声優:宮田浩徳
大変な大食漢で肥満体が特徴の兵士。ただその強さは多くの人に知れ渡っており、陳軍の将軍である管常渇にはほとんどライバル視されるがごとく目の敵にされている(しかし益宝満は管常渇を全く意に介していない)。
鍔双(ガクソウ)・・・PC版声優:岡崎雅紘/PS2版声優:野中秀哲
陳軍の元武将だったが蔀蝉示の策略に嵌り右腕と左足と左目、更には部下を一瞬にして失う。その後軍を追われ、半死半生で彷徨っていたところを斉旬に拾われた。彼の作った義肢を身につけ、陳軍への復讐の機会を伺っているが…。
斉旬(サイジュン)・・・PC版声優:間島淳司/PS2版声優:細井治
医者でありながら技術者という二束の草鞋を履く男。独自の武器などを開発する天才だが紙一重の変人でもある。鍔双のことも体のいいモルモットか用心棒と思っており、自分の借金の踏み倒しなどをさせている。かなりの守銭奴。
翡翠(ヒスイ)・・・PC版声優:羽吹梨里/PS2版声優:石塚さより
弓の名手と名高い「星落としの邨」の一人息子。父譲りの弓の腕と母譲りの美貌を併せ持つ。父を尊敬しているが、その過保護さに少々辟易している面も。互いの一族同士が犬猿の仲の為、雷一族の雷穿基とは反目しあうが…。
雷穿基(ライセンキ)・・・PC版声優:小野徳己/PS2版声優:岩崎徹
一族の掟によって、流浪の旅をしている強弓使い。無骨で口数が少ないが、自然や動物を慈しむ素朴で純粋な青年。山奥の生まれなので世間知らずな面も。互いの一族同士が犬猿の仲の為、邨一族の翡翠とは反目しあうが…。
鈴鈴(リンリン)・・・PC版声優:堂本あかり/PS2版声優:相田さやか
美人姉妹の双子の姉。戦火によって故郷と両親を亡くし、妹と二人で旅をしている。姉妹共にかなりの酒豪で、誰彼構わず行く先々で飲み比べを持ちかけては、有り金を巻き上げて生計を立てている。
歓歓(カンカン)・・・PC版声優:堂本あかり/PS2版声優:相田さやか
美人姉妹の双子の妹。戦火によって故郷と両親を亡くし、姉と二人で旅をしている。姉妹共にかなりの酒豪で、誰彼構わず行く先々で飲み比べを持ちかけては、有り金を巻き上げて生計を立てている。
赭川主(ソオセンシュ)・・・PC版声優:高崎拓郎/PS2版声優:山田義晴
異国から流れ着いた異邦人で本名は「そほかわぬし」と呼ばれる。海を隔てた孤島「倭国」の出身だが、諸事情により海に出たところ、嵐に巻き込まれこの国に漂着した。異国の言葉を解するほどの教養を持ち、穏やかで聡明な人物。
隷邪単于(レイヤゼンウ)・・・PC版声優:藤原満/PS2版声優:井上悟
匈奴の王族だったが叔父との権力争いに破れ、国を追われる身となる。王子としての温室育ちゆえに横柄な態度をとるが、精神的に未熟。「単于(王)」という名に固執し、「隷邪単于」または「単于」と呼ばないと怒る。
校延(コウエン)・・・PC版声優:小野徳己/PS2版声優:萩道彦
元は宮廷内の主計係だったが、王に贅を控えるよう進言した代償に死罪を賜る。が、斬首間際に騒ぎが起こり、ドサクサに紛れ逃げ出し一命を取り留めた。要領は悪いがその記憶力と倹約術は群を抜き、青軍の懐事情の心強い味方に。
楼希(ロウキ)・・・PC版声優:早川隆之/PS2版声優:増田淳
とある事情で青軍に入ろうと躍起になる浮浪児。短気で粗暴で口は悪いが、根は寂しがりやで妹思いの優しい少年。かなりの役人嫌いで反射的に元役人の校延を怒鳴ってしまうが、後でこっそり反省している姿も。
招夜(ショウヨ)・・・PC版声優:高橋あきお/PS2版声優:長嶝高士
酒好きの医師で、昼夜飲んだ暮れている有様だが腕は確か。青軍に参加後は最前線に立ち、敵味方問わず治療に勤しむ。「生きる見込みのある者から生かす」という現実主義者で、その為周囲から冷血漢と見なされることも少なくない。
乾蛇羅(ケンダラ)・・・PC版声優:羽吹梨里/PS2版声優:倉森慶二
天竺(ガンダーラ)から売られてきた、寡黙で無表情な奴隷戦士。いかなる命令にも動じることなく、淡々と遂行しようとする。基本的に主には忠実だが、宗教上の禁を犯すことには全力で抵抗する。
鶴闘応(カクトウオウ)・・・PC版声優:間島淳司/PS2版声優:井上悟
白鶴山に居を構える鶴派の修行僧。若輩ながら六大開を習得しており、小柄ながらもその体術は恐るべきもの。世の乱れを憂い青軍に志願した、礼儀正しく生真面目な青年。自分を慕って追いかけてきた弟分に困惑しているが…。
鶴考藍(カクコウアイ)・・・PC版声優:柊みかみ/PS2版声優:服部加奈子
鶴派開闢以来の神童といわれる少年で、華奢な体からは想像も付かぬほど超重量の神君槍を軽々と使いこなす。その愛らしい容姿と明朗快活な性格で、青軍内のアイドル的存在。兄弟子への好意を包み隠さず常に彼を慕うが…。
刑堂英(ケイドウエイ)・・・PC版声優:佐藤史郎/PS2版声優:長嶝高士
なぜか黄朴盛、弗良と常に三人一緒にいる大男。短気で粗雑な性格をしており、巨大な金棒を持ち歩くいかにもといった強面だが、実は見掛け倒しの小心者。とある事情で職を求めているが…。
黄朴盛(コウボクセイ)・・・PC版声優:岡崎雅紘/PS2版声優:山田義晴
なぜか刑堂英、弗良と常に三人一緒にいる老人。陳軍に滅ぼされた小国の将軍で、生活は質素だが身なりはいい。現在は職を捜し求めているが老齢の為なかなか見つからず、将軍時代の貯蓄を切り崩して食い繋いでいる。
弗良(フツリョウ)・・・PC版声優:藤原満/PS2版声優:北島淳司
なぜか刑堂英、黄朴盛と常に三人一緒にいる青年。毎度毎度騒ぎを起こす刑堂英の諌め役。常に弱気で控えめな態度だが慇懃無礼な守銭奴で、何でもお金に換算しお金になることなら喜んで飛びつく。
硫影(リュウエイ)・・・PC版声優:高城元気/PS2版声優:相田さやか
身寄りの無い薬売りの少年だが、どこか不気味で陰気な雰囲気を纏う。薬の調合の腕は確かで青軍内において重宝がられているが、小動物の死骸を集めたり毒薬の本を読みふけるなどの奇行も目に付く。
蔀蝉示(ホウゼンジ)・・・PC版声優:小岩井学/PS2版声優:北島淳司
陳王高の臣下の一人。かなりの策士で、目的の為には手段を選ばない卑劣な男。元は地方の小役人だったが、数々の汚い手を繰り返して今の地位を手に入れた。その欲望に踏み躙られた者は数多く、あちこちで恨みを買っている。
管常渇(カンジョウカツ)・・・PC版声優:高崎拓郎/PS2版声優:山田義晴
「陳軍一の美丈夫」を自称する将軍。オネエ言葉で傲岸不遜な女王様気質だが、実は妻帯者。顔見知りの宝満を敵視しているが、本人には相手にされていない(というか顔すら覚えられていない)。
陳王高(チンオウコウ)・・・PC版声優:岡崎雅紘/PS2版声優:長嶝高士
幼い皇帝を殺し、三つに分かたれた国の一つの支配者となる。国の統治などは殆ど臣下に任せ、自身は毎日ひたすら民から搾り取った贅にまみれ、淫蕩と快楽に耽る日々を送っている。
皇子・・・PC版声優:下野紘/PS2版声優:萩道彦
前皇帝が即位前に身分の低い女性との間に儲けたご落胤。父の即位と共に自身の存在が世間に明らかになり、幼い頃より幾度も命を狙われ利用されかけてきた不遇の青年。現在は行方知れずであり、陳王高が血眼になって探している。
奴隷商人…PC版声優:白石稔

2009年01月28日

戦国時代後半の社会

戦国時代後半の社会は、二つの相反する可能性を示唆していた。一つは信長・秀吉の天下統一事業に代表される、強大な権力者を頂点とする中央集権体制、いわば「タテの支配」である。そしてもう一方に、加賀一向一揆や紀伊雑賀などの惣国一揆を代表とする大名の支配を排した地域自治体制、いわば「ヨコの連帯」があった。両者は相容れないものであり、信長・秀吉が天下統一を達成するためには、どうしてもこれら惣国一揆を屈服させなければならなかった。信長によって加賀一向一揆は潰滅したが、雑賀惣国や根来衆は未だ健在であり、秀吉はこれに対する敵意を隠さなかった。
ババロア フィラン マッチン ビジネス ハワイ ヒューズ ダグアウト マルチ プレムハブ スノーフ 流星群 にんきょう ミステ ぶんぶん ブラテ ハイヒール シングル ラバト ブルンジ バックオ ナッソー トラン ラムサー 鈴蘭 セラセラ つるみ マルセイ コピーイノ ゲーター ブラッド トパイ バーバレ パブリ レベニュ フォーム メタ いささや ハイウエイ ダルトン ハリアー ビーコン ガター サイドカー あぼがど ジンセン スプリング ユリノ ジャーゴン アニムス ビッドレ

太田城の開城に伴い死を与えられた者たちは、一揆の主導層である地侍である。続いて行われた検地・刀狩も、その目的には兵農分離、すなわち体制の一部として天下人に従う武士と、単なる被支配者である農民とに国人・地侍を分離し、解体することが含まれていた。抵抗する地侍に対しては、容赦ない弾圧、殺戮が加えられた。その後の武士は、知行地を与えられてもその土地と私的な関係を結ぶことは許されなくなり、惣国一揆が再び芽生えることはなかった。秀吉は自身が任命する領主が領地の隅々まで直接支配を行う体制を目指し、その障害となる住民による地域自治を破壊したのである。

刀狩
寺社勢力や惣国一揆を存立せしめたのは、彼ら独自の軍事力による所が大きい。これらを解体するためには、寺社や地侍、そして農民をも武装解除することが必要だった。秀吉は太田開城時に指導層の地侍を処断する一方、一般農民は退城を許したが、この時農民の武装解除を命じた。この武装解除命令は、後年の全国の刀狩の嚆矢として原刀狩令と呼ばれる。次いで二か月後の天正13年6月、紀州惣国及び高野山に刀狩令が発せられる。武装解除させられた高野山にもはや権力の介入を拒む術はなく、寺社の中立・独立性は否定された。

そして天正16年(1588年)7月8日、全国に刀狩令が発せられた[110]。

結語
海津一朗は「太田の決戦は、中世を象徴する宗教的な民衆武力と、兵農分離の近世秩序が、真正面から戦いあった日本史上のクライマックス」であり、「紀州は「秀吉の平和」、すなわち日本の近世社会の発祥の地であり、それに抵抗した中世終焉の地だったことになる」と述べている[111]。ここに寺社勢力は消滅し、惣国一揆は潰え、圧倒的な武家の軍事力による一元支配の近世が始まる。

^ フロイスは雑賀の住民は全て一向宗徒だとしている(『荘園の世界』上巻P17)が、実際には他宗の信者である住民も多くいた。
^ 『荘園の世界』上巻P9より。
^ 雑賀に関する資料に出てくる「惣国」という言葉について、現在の主流は雑賀五組の結集、すなわち雑賀惣国を指すという解釈である。一方で雑賀衆、根来寺、高野山、粉河寺、湯河氏、熊野衆らが畠山氏を推戴した一国規模の一揆であるという説があるが、現在は否定的に見られている(『戦国鉄砲・傭兵隊』P36)。
^ 紀伊の全水田面積の八、九割が寺社領だったとされる(『寺社勢力の中世』P108)。
^ 応永25年(1418年)、畠山氏は当時熊野本宮領の田辺を押領しようとして反撃を受け敗れた。また長禄4年(1460年)、守護畠山義就は根来寺と粉河寺の紛争に介入して根来衆と戦い、口郡守護代遊佐盛久以下七百人以上を失う敗北を喫した(『和歌山県の歴史』P130-132)。
^ 被官化した国人衆は畠山氏の分国支配には関わらなかったが、軍事動員には応じた(『和歌山県の歴史』P132)。
^ 応永21年(1414年)、高野山は山の入口に立札を立てて、幕府・守護といえども高野山の承認なく山内で警察権を行使することを禁止した(『寺社勢力の中世』P178-179)。
^ 寺社の不可侵性の強弱は、それぞれの寺社の格と実力によって変化した(『寺社勢力の中世』P184)。
^ フランシスコ・ザビエルは日本の主な大学として京都五山、高野山、根来寺、比叡山、園城寺、足利学校を列挙している。(『荘園の世界』上巻P1-5)。
^ この節の記述は、特記するものを除き『寺社勢力の中世』に基づく。
^ 土橋氏は浄土宗門徒であるにもかかわらず真言宗の根来寺に泉識坊を有し、しかも一向一揆にも参加している。
^ フロイスは根来の僧について「絹の着物を着て俗人の兵士のような服装をし、富裕なため両刀には金の飾りをつけ、衣服は俗人と異なる所がなかった。頭髪は背の半ばにまで伸ばして結んだ。また軍事に極めて熟達し、とりわけ弓と鉄砲の訓練に励んだ」と描写する(『寺社勢力の中世』P98及び『信仰と自由に生きる』P321)。
^ 高野山も、行人の「惣分」によって政策が決められている点は根来寺と同様だった(『日本の中世寺院』P123)。
^ 正確には合議制ですらなかった。根来寺内部では多数の会議が乱立して収拾がつかないほどであり、結局は少数の有力行人が決定を左右しており、「首長なし」と表現された(『寺社勢力の中世』P168)。
^ 主に荘園領主や農民に対する金融業の担保や利息として、田地の徴税権など(加地子も参照 )を獲得するという方法で行われた(『信仰と自由に生きる』P336-338)。
^ この場合の「百姓」とは、兵農未分離の有力農民、すなわち地侍を中心とするものである(『秀吉の天下統一戦争』P159)。例として、佐武伊賀守は後に日高郡山地郷で一揆を起こした地侍らを「百姓」と呼んでいる(『戦国鉄砲・傭兵隊』P32)。なおこの時代、「百姓」は農民のみを指す言葉ではなく、多くの非農耕民(商人・工人・海民など)を包含する言葉だった(網野善彦『網野善彦著作集 第十巻』(岩波書店、2007年) ISBN 9784000926508 所収の『海からみた日本社会』より)。
^ 『昔阿波物語』は讃岐十河氏に仕えた二鬼島道智の著作である(『戦国鉄砲・傭兵隊』P31、『戦国合戦大事典』P304)。
^ 両軍の兵力については『戦国鉄砲・傭兵隊』P117より。
^ 『戦国鉄砲・傭兵隊』P115-116より。
^ 三組の中にも、組の決定に反して本願寺方に留まる者もいた(『荘園の世界』上巻P277、『戦国合戦大事典』P240)。
^ 『信長公記』では、その他に稲葉一鉄・氏家直昌・不破光治・丹羽氏勝などが参陣したことが記されている(P36、38)。
^ 『戦国鉄砲・傭兵隊』P148より。
^ この時の勝利を祝う人々が雑賀荘鎮守関戸矢の宮で踊ったのが起源となり、現在でも和歌浦東照宮の祭礼和歌祭で踊られている雑賀踊りが誕生した。雑賀踊りの特徴である片足での踊りは、鈴木孫一が負傷した足をいたわりながら踊ったことに由来すると言われている(『和歌山・高野山と紀ノ川』P68-69、72)。
^ 『戦国鉄砲・傭兵隊』P118より。
^ 信張は天正10年1月には岸和田城主だったとされるが、6月時点では岸和田城主は蜂屋頼隆に交替していたようである。蜂屋頼隆は同年に入ってから和泉一国の支配権を与えられて和泉国人衆を統括することになった(谷口克広『信長軍の司令官』(中公新書、2005年) ISBN 412101782X P190、P213)。
^ 対立の原因は不明だが、天正9年8月時点で両者に土地を巡る紛争があり、当時鷺森にいた顕如が仲介に入っていた(『戦国合戦大事典』P280)。
^ 泉識坊の門主は土橋氏出身なのが通例で、この泉識坊も土橋氏と推定される(『戦国合戦大事典』P2281)。若大夫の子とする説もある(『荘園の世界』上巻P279)。
^ 『戦国合戦大事典』P258より。
^ 『信長公記』P228による。『戦国合戦大事典』P253では9月30日に京都、安土など三か所で約六百人としている。
^ 高野七口の内訳は、西側に保田口(大門口)と麻生津(おうづ)口、北に学文路(かむろ)口、北東に大和口、東に大峯口、南に龍神口と熊野口とする。
^ たとえば堀秀政について、『高野春秋』では天正9年10月初頭には紀伊に着陣し、また翌10年4月には四国攻めの大将となった織田信孝に代わって総大将になり、6月には退却の指揮も取ったとされているが、『信長公記』では天正9年9月から10月中旬までは伊賀攻めに出陣、翌年3月には武田攻めに従軍、5月下旬には上洛中の徳川家康の接待役を命じられていた。
^ この段落の考察は、特記するものを除き『戦国合戦大事典』P254-255による。
^ 「高野七砦」の配置は以下の通り。
西の脇庵の砦(城将は西方院覚心)……茶臼山城(現紀の川市(旧那賀町))を指す
龍門山雲路の砦(大光明院覚乗)……最も西側にある砦
寺尾壇の砦(医王院正算)
九度山槇の砦(智荘厳院)
雨壺山の砦(橋口隼人重藤)……これも九度山方面
東・茂原薬師砦(花応院快応) 西・西尾山砦(全光院覚応)……学文路方面。東西二砦を合わせて一つと数える
地蔵ヶ峰の砦(三宝院長政)……大和口・吉野大峰方面
(『城郭大系』10巻P451-452より)
^ 『信長公記』には信孝が高野攻めの将になったという記述はない。ただし、『信長公記』では信孝に関する記述は天正9年7月25日(信長から脇差を賜った)以降翌10年5月11日(四国攻めの大将となり、摂津住吉に到着)までなく、同年1月の安土の年賀の席にも名前がない。
^ 『和歌山県史』P643より。
^ 筒井順慶本人が高野攻めに参戦した確証はない。
^ 無量寿院清胤は7月26日付けの上杉景勝宛の書状で、数度の合戦にいずれも高野勢が勝利し、織田勢を山内に入れなかったと述べている(『戦国合戦大事典』P257)。
^ この節の戦闘経過に関する記述は『戦国合戦大事典』P255-258に基づく。
^ 『城郭大系』10巻P466では60,000、『中世終焉』P119では100,000とする。
^ 『ルイス・フロイス イエズス会日本年報』では秀吉軍の死者約一万人、紀州勢の死者15,000人以上としている(『中世終焉』P158)。同じくフロイスの『日本史』ではそれぞれ7,000から8,000人と10,000人以上とする(同P160)
^ 『久遠の祈り』P250より。
^ 『日本史』では根来寺には僧侶だけで八千から一万人がいたと述べ、一方で高野山には三千から四千人の僧侶がいたと記す。この数字に対して複数の解釈がありうるが、小山靖憲は人数そのものでなく両寺の数の比率に着目し、「実態はともかくとして、根来寺には高野山の約二倍の兵力があるとフロイスはみていたのである」と述べている(『荘園の世界』上巻P16)。
^ 秀吉は根来寺に対して、72万石ともいわれる寺領を全て納めるよう要求し(『城郭大系』10巻P459)、改めてわずかな土地(一説に二万石)を与えようと持ちかけたが、根来側に一蹴されて討伐を決意したと伝えられる(『戦国合戦大事典』P299)。
^ 本能寺の変から実際に紀州攻めが行われるまでの三年間に、秀吉は天正10年10月、同11年夏、同12年2月及び10月と計四回根来討伐を計画している(『戦国合戦大事典』P299)。
^ 孫一は後に羽柴秀吉に仕えた。
^ 同年2月、秀吉は賤ヶ岳の戦いに出陣中であったが和泉の地侍を大坂城に集め、尾藤知宣・戸田勝隆を使者として送り紀伊の動向を説明させ、岸和田城に中村一氏を配置することに同意させた(『大阪府史』P37)。
^ 和泉の地侍のうち、おおむね岸和田以北の者は中村一氏に従い、岸和田以南の者は紀州側に加わっている(『大阪府史』P39-40)。
^ 雑賀衆らの秀吉への敵対に、本願寺が関与していないことを示すためと言われる(『荘園の世界』上巻P280)。
^ 当時菅氏は本拠である洲本城を秀吉によって追われ、広(現広川町)に移っていた。広は15世紀後半以降畠山氏の紀伊における本拠であり(『荘園の世界』上巻P9、同下巻P32)、菅氏が広を拠点とすることについては畠山氏との間に何らかの了解があったと考えられる(六章、十六世紀末の淡路水軍・菅氏と豊臣秀吉)。
^ 貞成の父は第一次木津川口の戦いで織田方の水軍の将として戦死した真鍋七五三兵衛貞友とされる(六章、十六世紀末の淡路水軍・菅氏と豊臣秀吉)。
^ 紀州側は建設中の大坂城を焼き払う狙いもあったという(『戦国鉄砲・傭兵隊』P200)。
^ 紀州勢は通過した所をことごとく破壊焼却しつつ、ゆっくりと前進した(『大阪府史』P47)。
^ 『イエズス会日本年報』より(『大阪府史』P46-47)。
^ 岸和田合戦の兵力について。秀吉側の言う所では、この戦いでの岸和田勢の兵力は八千、紀州勢は三万とされている(『城郭大系』12巻P202)。『イエズス会日本年報』では紀州勢を一万五千としている(『大阪府史』P46)。
^ 岸和田合戦の結果について。秀吉は佐竹義重宛の書状で岸和田勢が紀州勢の首五千を討ち取ったと語っている。『日本史』では中村一氏が四千余名を殺したと述べる。『宇野主水日記』では769の首を取り、その他にも討ち捨てた首があちこちにあったと記す(以上『和歌山県史』P647-648より)。 一方で、秀吉の言う通りなら大活躍したはずの中村一氏の伝記『中村一氏記』では、岸和田合戦について何も語っていない。また『真鍋真入斎書付』では一氏がこの戦いの後の行賞で近江水口六万石にとどまったのは、岸和田在城時に働きがよくなかったからだという説がある(『戦国鉄砲・傭兵隊』P201)。
^ これに先立ち、徳川家康は井上正就を根来・雑賀に送って同盟を結び、大坂襲撃を促している(『僧兵の歴史』P285)。とはいえ、紀州勢は家康を助けるためにわざわざ出兵したのではなく、前述の通り根来寺と秀吉の間には元々対立する状況があった(『戦国鉄砲・傭兵隊』P196、199)。
^ 菅達長は香宗我部親泰を通じて長宗我部氏と結んでいた(六章、十六世紀末の淡路水軍・菅氏と豊臣秀吉)。また天正14年9月、雑賀衆と長宗我部氏が合同で軍議を行っており、四国・紀州連合軍による大坂襲撃も計画されている(『戦国鉄砲・傭兵隊』P201)。
^ 同月、秀吉は毛利からの人質である小早川秀包に一万石を与えた上で安芸へ帰国させた。秀包は翌月には岸和田派遣の水軍に加わり出陣してきた(『大阪府史』P55-56)。
^ 『根来破滅因縁』より(『木食応其』P78、190)。
^ うち宇喜多秀家勢が一万二千、蒲生氏郷勢が五千、また鉄砲隊は七千人を数えたという(『和歌山県史』P649-650)。
^ 『イエズス会日本年報』によると午後四時以降(『戦国合戦大事典』P60)。
^ 両軍の兵力と損害については『戦国合戦大事典』P59-61より。
^ 『戦国合戦大事典』P59より。『日本城郭大系』12巻P218では根来左太仁とする。
^ 戦国時代、城は戦争時における領民の避難場所であり、敵軍の侵攻時に非戦闘員多数を含む住民が籠城に加わるのは全国至る所でありふれた光景だった(藤木久志『雑兵たちの戦場 中世の傭兵と奴隷狩り』(朝日新聞社、1995年) ISBN 4022568941 3戦場の村――村の城より)。
^ 『秀吉事記』より(『戦国合戦大事典』P59)。
^ 『イエズス会日本年報』によると、自軍が二度までも撃退され、大きな犠牲を出したのを見た秀吉は、自ら敵の鉄砲の射程内に前進して士気を鼓舞した。
^ 『蒲生軍記』では城兵は千石堀落城の様子を聞いて、戦わずして逃亡したとある。
^ 城将は不明。一説には的場源四郎とも言われる。
^ 千石堀・積善寺・沢城の戦闘に関する記述は『戦国合戦大事典』P55-61より。
^ この節の考察は『戦国鉄砲・傭兵隊』P70、74、197-198、204による。
^ この時根来側の主要兵力は和泉の戦線に出払っていて、寺には戦闘に耐えうる者はほとんどいなかった(『戦国合戦大事典』P300)。残っていた僧侶は逃亡し、無抵抗で制圧されたとする(『城郭大系』12巻P217)。一方で僧兵らが激しく抵抗したという説もある(観光情報 根来の歴史(岩出市HP))。なお、大塔には当時の銃弾の跡が残されている。
^ 『荘園の世界』上巻P281より。
^ 秀吉自身は小早川隆景にあてた書状において、自分の命令で焼き払わせたと述べている(『中世終焉』P142)。また昭和62年(1987年)度に検出された寺内の油倉遺構の調査によると、灯油を貯蔵していた大量の大甕をことごとく逆さにして叩き割った上に倉ごと焼き払われていた痕跡がある。当時灯油の販売は根来寺の収入源の一つであり、秀吉は根来寺が再度巨富を得ることを恐れて油の貯蔵設備を破壊したのではないかと考えられる(『久遠の祈り』P284-285)。
^ 竹中重門は著書『豊鑑』において、申の刻(午後三時から五時頃)突然出火して燃え広がり、秀吉の宿舎にも燃え移ったため秀吉は山の上に避難したと述べている。また根来寺の僧で上方勢来攻直前に高野山に避難した日誉は、『根来破滅因縁』において軍勢が寺内で略奪に夢中になっている間に、昼間のうちにあちこちで火災が起こり、兵士の武具も焼失するような状況だったことを伝聞として記す。ルイス・フロイスは、翌日になれば秀吉が略奪禁止令を出すことを恐れた兵士たちが、夜のうちに放火略奪を行い、その火が燃え広がったために秀吉も宿舎から逃げ出して山の上で夜を明かすことになったと述べる(以上いずれも『戦国合戦大事典』P300-301より)。
^ 根来寺同様、一般的には秀吉による焼き討ちとされている。しかし宇野主水(顕如側近)の日記によると秀吉の軍勢が来る前に少人数が放火して「自滅」したとあるので、粉河寺側による自焼と解するべきという意見(『戦国合戦大事典』P303)もある。
^ 土橋平丞は4月4日、土佐から戻って降伏した。
^ 『貝塚御座所日記』(『宇野主水日記』)より。この知らせは24日昼に鷺森から貝塚に届いた(『中世終焉』P150)。
^ 焼けた地域と焼けなかった地域で、雑賀荘の抗戦派と帰順派のおおよその地域的な色分けができる(『戦国鉄砲・傭兵隊』P205)。
^ 『貝塚御座所日記』より(『中世終焉』P150、原文カタカナ)。
^ 『玉置覚書』では紀州奥郡で秀吉に味方したのは前記の三氏のみだったのに対し、湯河氏に同心して抵抗したのは三十六氏に上ったとする(『高山公実録』P39)。
^ 『玉置覚書』によると玉置勢が湯河氏の所領である小松原(現御坊市)に放火したのを皮切りに、3月21日湯河勢八千と玉置勢千六百が坂の瀬において対戦し、玉置勢は善戦したが83人が討死して敗退し、手取城に籠城した。三日三夜攻防が続いた所に仙石秀久・小西行長が数百艘の兵船と大軍を率いて押し寄せたため、湯河勢は山中に退いた(『高山公実録』P39-40)。一方『田辺市誌』では手取城は落城して玉置直和も殺されたとする(『戦国合戦大事典』P320)。
^ 鳥屋城攻略に当たって、『武徳編年集成』によると白樫氏が攻撃に参加した。また『星田家所蔵文書』によると神保春茂は在城していたが秀吉に内通し、城内の抗戦派を暗殺して開城に導いた。また守城側には根来衆が参加していた(『戦国合戦大事典』P317-318)。根来寺は戦国時代を通じて畠山氏の軍事動員に応じている(久米田の戦い、教興寺の戦い、野田城・福島城の戦いなど参照)。
^ 岩室城の落城日時は不明である。
^ 『戦国合戦大事典』P329より。
^ 根来寺への使者を務めたことから(「和泉の戦い」の項参照)、応其と秀吉の間には紀州攻め実行以前からつながりがあったことが推測される(『木食応其』P190)。
^ 当時、太田城水攻めの最中だった。
^ 天正14年(1586年)7月21日、秀吉は応其の功績を称え、「高野の木食と存ずべからず。木食が高野と存ずべき」と述べたと応其自身は記している。いずれにせよ、この交渉によって秀吉は応其を信任し、重用するようになる(『僧兵の歴史』P289、294及び『木食応其』P175)。
^ 応其の没後は寺領に編入された。
^ 五千人の内訳について、『太田水責記』では「黒田喜内を始として千余人、雑兵児女共に凡五千人(原文カタカナ)」(『中世終焉』P166)、『根来寺焼討太田責細記』では「軍勢五千余騎」(同P172)、『太田城由来并郷士由緒之事』では「黒田喜内を始千余人、其外百姓の妻子共都合五千人」(同P177)とする。秀吉側の史料では『玉置覚書』が「一千人計り」としている(『高山公実録』P39)。
^ 『太田水責記』では小雑賀・中津の二城、『根来寺焼討太田責細記』では雑賀・吹上・中津の三城を挙げている。『イエズス会日本年報』も城名は挙げていないが二城が抵抗し、十四日間(『日本史』では四日間)足止めされたと記している(『戦国鉄砲・傭兵隊』P207)。
^ 当時小雑賀にそれに該当する城はなく、弥勒寺山城のことではないかと推測される(『戦国鉄砲・傭兵隊』P188)。
^ 『中世終焉』所収の北野隆亮『考古学から見た太田城跡』より。太田城跡とされる遺跡からは大量の土器・陶磁器が出土しており、中世を通じて恒常的に生活・消費活動が行われていたと考えられる。また瓦も頻繁に出土しており、寺院を含む相当数の瓦葺き建物が存在したと推測される。
^ フロイスは城内に米二十万俵以上が備蓄されていたと述べている(『中世終焉』p155)。
^ 『戦国合戦大事典』P311より。増田長盛は兵糧奉行として、兵庫・尼崎などから紀伊湊(紀ノ川河口)への兵糧輸送の指揮を執っている(『和歌山県史』P575)。
^ 太田側の資料では、日前宮から白鷺が飛来するや堤が崩れた(『根来寺焼討太田責細記』)、森から現れた蛇が水面を渡り、泳ぎ着いた場所の堤が切れた(『紀伊国名草郡太田総光寺中古縁起』)などと「神威」の様子を表現している(いずれも『中世終焉』史料編所収)。
^ 秀吉は太田城水攻めの様子を彼らに見せることで、間接的に徳川家康に自分の力を見せつけようとしたとも考えられる。
^ 4月5日付の生駒氏宛て書状では「二三日之中」、同13日付丹羽長秀宛て書状では「五三日中」には落とせると書いている(『中世終焉』P143、P145)。
^ 『イエズス会日本年報』より。
^ 磔にされた人数は『中家文書』では23人、『イエズス会日本年報』では18人、『日本史』では28人とする(『戦国合戦大事典』P313、『中世終焉』史料編より)。
^ 『中世終焉』P137及び『荘園の世界』上巻P282より。
^ 『荘園の世界』下巻P152より。
^ この項における考察は、特記するものを除き『中世終焉』所収の弓倉弘年『太田城水攻めの歴史学的考察』に基づく。
^ 『湯川記』などによると、天正14年2月、直春と山本康忠は本領安堵の確認のために大和郡山城に赴いて羽柴秀長に面会した。しかし対面後もそのまま旅館に留め置かれ、7月16日に至って毒殺されたとする(『戦国合戦大事典』P328)。
^ 『渡部家文書』によると直春は秀長によって五千石を安堵されたが、翌14年4月23日に病死したとする。また直春が本当に毒殺されたのなら、湯河一族がその後も豊臣氏や藤堂氏に多数仕えていることの説明がつかない(『戦国合戦大事典』P328-329)。
^ 山本康忠の最期については諸説ある。武家家伝_紀伊山本氏では湯河直春と共に大和郡山で毒殺されたとしている。『紀伊続風土記』『湯川実記』では秀長との会見後浴室で槍に突かれて殺されたとされる(『日本城郭大系』10巻P541)。一方『高山公実録』では藤堂高虎が山本主従253人を山中から誘い出して騙し討ちにしたと述べている(P51-52)。『多門院日記』では山本氏は天正14年9月頃まで抗戦を続けており、その後投降したが11月頃までに処刑されたとする(『戦国合戦大事典』P334-335)。
^ 武家家伝_玉置氏より。これについて、秀長から領地の高を問われた際に旧高で答えたためにその分の知行しか与えられなかったという逸話がある(『戦国合戦大事典』P321)。一方で、天正15年以降の検地によって、名目の知行は同一ながら実質は三分の一に所領を減らされたとも伝えられる(『岩波講座日本通史』11巻P123)。玉置直和は失望して家督を子の永直に譲り、高野山に出家したという。
^ 紀州攻め以前の熊野は、隣接地域への侵攻を繰り返し勢力を拡大する堀内氏に対し、高河原・小山・色川氏らが共同で抵抗するという構図だった。『風雲戦国史』(外部リンク参照)各氏の項より。
^ この節の考察は『寺社勢力の中世』『日本の中世寺院』に基づく。
^ この節の考察は『秀吉の天下統一戦争』『岩波講座日本通史』11巻及び同『第10巻 中世4』(岩波書店、1994年) ISBN 4000105604に基づく。
^ この節の考察は、『秀吉の天下統一戦争』『寺社勢力の中世』に基づく。
^ 『中世終焉』冒頭の海津一朗『「秀吉の平和」と現代』及びP138より。

2009年01月20日

地球外で生起する自然現象の観測

Astronomy)とは、天体や天文現象など、地球外で生起する自然現象の観測、法則の発見などを行う自然科学の一分野。地球科学や物理学の一分野とされることもあり、位置天文学・天体力学・天体物理学などから構成される。

位置天文学は天体の位置を、天体力学は天体の運動を研究する学問で、天文学の中でも古典分野とみなされている。

現在では、天文学分野の専門化が著しく天体物理学は天文学の近代分野とみなされており、天体の物理状態や進化を研究する学問である。宇宙物理学は、天文学で観測した天体のふるまいを物理学的に解明しようとする学問である。天文学のほとんどの分野は物理学を前提として成り立っており、観測結果は物理的に説明されることがほとんどである。そのため、天体物理学と宇宙物理学は非常に近い意味で使われている。

天文学と人々の関係
天文学は、数ある科学のなかでもアマチュアが活発に活動している数少ない分野である。特定の天体を追跡したり、彗星や小惑星などの新たな星を発見するといった、様々な形でアマチュアによる活動が行われている。

用語捕捉
また、天文学で扱うスケールは日常的なスケールと比較して非常に大きくなるため、大きい数量を俗に「天文学的な??」と表現することがある。これは、古くから「星の数ほど」といわれるほど、数多くの数量を扱うことが=天文学との関係性で生じた言葉であると考えられている。

漢語及び和語としての「天文」
なお、「天文」という言葉には、古くから陰陽道や暦学など天体の動きの変化から未来を予測する占い分野で用いられてきたという迷信的な側面があった(天文道・暦道)。そこで明治期に英語やドイツ語の"Astronomy"を翻訳して星学(せいがく)などのこれに代わる用語が作られたものの定着せず、今日では「天文」と言えば迷信的要素とは無縁な自然科学としての天文学を指す場合がほとんどである。江戸幕府によって設置されていた観象台(参照項目:国立天文台)は、現在の気象台と天文台を併せ持つ機関として運営が行われていた。その目的は、暦の編纂、気象観測などを行うことであった。

天文学の各種分野
天文学は、天文現象へのアプローチの仕方によって大ざっぱにいって、観測天文学と理論天文学に分けることができる。観測天文学では、天体の現象を観測し、膨大なデータを収集する。理論天文学では、それらの現象を説明するモデルや理論、原理などを発見したり、作り出したりする。1980年代以降、大学や研究所の大型計算機センターに設置されたスーパーコンピュータを用いて、惑星や銀河の生成理論などにおいてはコンピュータによるシミュレーション実験も多用される。近年は、シミュレータそのものの専用計算機が開発され、多くの研究室で実験に供されるようになってきている。

より一般的には、それぞれの研究者の扱う研究対象や手法によって分野が分けられる。たとえば、銀河の挙動を中心に研究する銀河天文学など宇宙の特定の天体を扱うもの、宇宙論や星形成論など特定の問題を扱うもの、電波天文学や光赤外天文学など天体を観測する手法による分類などができる。

また科学の3要素である物理学-化学-生物学を含むため、天文学全体を天体科学と呼ぶこともある。

研究対象に基づく分類
暦 - 位置天文学 - 天体力学
宇宙論 - 宇宙物理学
銀河 - 銀河天文学 - 銀河進化論 - 銀河形成論
恒星 - 恒星物理学 - 恒星進化論 - 星形成論
星雲・星団 - 星間物理学
惑星 - 惑星物理学 - 惑星形成論
地球 - 地球物理学 - 地球化学
本分類は、歴史的発展に基づき作成したものである。天文学分野で最初に研究が行われたのは、暦を研究する暦学であり、そこから、海上を移動する際に現在位置を知るために発展した位置天文学へと繋がる。そして、その位置天文学に基づく観測の結果から天体力学へと発展を遂げたものである。また、宇宙論は、神話や宗教等によって、それらは様々な伝承などの形で現在に至っている。宇宙論が、きちんと物理学的に探求されるようになったのは、近代に入ってからである。その他の、観測分野にしても同様であり、天体観測が系統的に行われるようになってからのことである。
大和撫子 きゃく サバンナ スキニー 情熱支援 ジャング ナリー ハンドカ ヒットパレ シリング ファンキー サーモス カペラ サラリー ニッケ フリフリ シュプネ ルサン レセプト パング テーション ジェロ スイス イライン おりあお パラシ バーゼル 夢街道 桜雨1押 ノート ワスレ どんしゅう プリン ジャスラック レア日本 永遠偉 白い街 パイロット ブイディ ストーブ チャウダ トカラ 管弦 アビブ スター スティック オモ モカ モンタナ ほうすう

本分類は、観測対象=研究対象という意味もある。暦の場合には、地球の自転についての研究である。そこから発展する形で、惑星運動の研究が行われた(ケプラーの法則)。宇宙論に関しては、仮説から観測によって、ビッグバン宇宙論が確立し現在に至っている。銀河の観測については、彗星ハンターと呼ばれる人々によって開始され、大型の観測装置が設置されることになってから詳しく研究が行われるようになったものである(メシエ、ハーシェル)。最後に地球に関しては、様々な神話の時代から探求が行われ、地上で起こる現象や地理学的な知見によって、地球物理学が発展してきたものである(関連項目:地震学)。地球化学に関しては、地球全体における化学的収支を明らかにするために、研究が行われている分野である(関連項目:環境問題)。

このように、地球-地球・月系-太陽系-銀河系-宇宙の大規模構造-宇宙誕生そして進化にいたる、幅広い研究領域を扱う学問である。

観測媒体による分類
電磁波を用いる天文学

一般に温度(エネルギー)の高い物体からは波長の短い電磁波が放射されるので、短い波長を用いれば、エネルギーの高い天体現象を観測することができる。天文学を以下に波長によって分類する。なお、宇宙膨張に伴い、宇宙誕生初期に発生した光などは、より長い波長の光や赤外線、サブミリ波で観測される(関連項目:ドップラー効果)。恒星や惑星、衛星や星間ダストの出す放射スペクトルは、一般に黒体輻射の法則に従う(関連項目:ボルツマン定数)。

電波天文学
赤外線天文学
可視光天文学
紫外線天文学
X線天文学
ガンマ線天文学
電磁波以外の媒体を用いる天文学

ニュートリノ天文学 (2007年までにニュートリノで観測された天体は太陽とSN 1987Aの2天体のみ)
重力波天文学 (2007年現在、重力波で観測された天体はない)
コンピュータ機器を用いる天文学

シミュレーション天文学(観測媒体というより、物理学現象による小宇宙を電算機内に構築し、シミュレーションによって検証する天文学)

関連分野・学際分野
宇宙科学 - 地球以外の天体を対象とする天文学の分野である。特に、宇宙観測機や宇宙探査機、有人宇宙飛行等によって、大気圏外の様々な現象を研究することが目的(狭義の天文学である)。
宇宙物理学- 元々は、"Astrophysics"を翻訳してその用語を当てた。天体物理学を主とする学問の総称。
宇宙化学 - 大型望遠鏡によって発展してきた分光学を支える学問分野。暗黒星雲内の化学研究や惑星探査機による惑星大気観測などの研究が行われている。
宇宙医学 - 宇宙飛行士による、長期滞在実験(ソユーズ計画、スカイラブ計画、サリュート計画、ミール計画、スペースシャトル計画、国際宇宙ステーション(ISS))によって、現在も研究が進められている。この目的は、当面は月への恒久基地建設に伴う長期滞在、火星への有人探査計画であるが、将来的には人類の宇宙活動が、生産や居住等にまで拡大した時代を見越して研究が進められている。
宇宙生物学 - 比較的新しい分野であるが、地球以外の星に生命が存在する可能性の研究や、宇宙由来のたんぱく質やDNA(まだ見つかっていない)等の研究を行う分野である。